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名古屋地方裁判所 昭和53年(ワ)1825号 判決

原告

渡辺章次

ほか六名

被告

河田幸博

ほか一名

主文

一  被告らは原告渡辺章次に対し、各自金五三二万八七二二円及び内金四九五万八七二二円に対する昭和五一年一一月三〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは原告岐阜日産自動車株式会社に対し、各自金三八万五五一二円及び内金三五万五五一二円に対する昭和五一年一一月三〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用中原告渡辺章次と被告らとの間に生じたものはこれを一〇分し、その七を右原告の負担とし、その余を被告らの負担とし、原告岐阜日産自動車株式会社と被告らとの間に生じたものはこれを五分し、その一を右原告の負担とし、その余を被告らの負担とする。

五  本判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告渡辺章次に対し、金一五五二万七二四五円及び内金一四二二万三五六七円に対する昭和五一年一一月三〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは各自原告岐阜日産自動車株式会社に対し、金四九万四三九〇円及び内金四四万四三九〇円に対する昭和五一年一一月三〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五一年一一月三〇日午前七時頃

(二) 場所 愛知県長久手町長湫字上作田一の一四先交差点(通称県道名古屋長久手線)

(三) 加害車 被告河田運転、被告組合所有の普通貨物自動車(名古屋四五そ五〇三二)

(四) 被害車 原告渡辺運転、原告会社所有の普通乗用自動車(岐五六ぬ八六四八)

(五) 事故の態様 原告渡辺が被害車を運転して長久手方面に向け前記県道交差点に差しかかつた際、原告渡辺の進行方向に向つて左側の未舗装道路から被告河田運転の加害車が右県道上に進入してきて被害車に衝突したため、同車はその勢いで反対車線を横切つて路肩まで行き、そこで停止し、原告渡辺は傷害を受けた。

(六) 傷害の程度 頸椎捻挫、腰部・頭部・左膝・右足部挫傷

2  帰責事由

前記未舗装道路は県道より狭い道路であるから、被告河田は交差点前で一旦停止するなどして、その広い道路上の左右の安全を十分に確認して進行する義務があるのにこれを怠り、いきなり広い道路に出てきたため本件事故が発生したもので、同被告に過失があり、被告組合は加害車を自己のために運行の用に供しており、しかも、本件事故は被告組合の従業員である被告河田が組合の業務執行中に惹起したのであるから、被告河田は民法七〇九条により原告らの被つた損害を、被告組合は自賠法三条により原告渡辺の被つた人損を、民法七一五条により原告会社の被つた物損をそれぞれ賠償する責任がある。

3  損害

(原告渡辺の損害)

(一) 治療費及び文書料 金三二二万〇七八〇円

原告渡辺は治療費及び文書料として金三万四〇〇〇円を支払つたほか、昭和五二年四月一日から昭和五三年二月二八日までの吉田外科病院における治療費として金三一八万六七八〇円を要した。

(二) 入院雑費 金七万五〇〇〇円

原告渡辺は昭和五一年一二月一日から昭和五二年四月四日まで一二五日間吉田外科病院に入院したがその間一日六〇〇円の割合によるもの。

(三) 退院時及び通院交通費 金七万八一八〇円

原告渡辺は、退院日である昭和五二年四月四日のタクシー代として五八〇円を支出し、同月五日から昭和五三年三月三一日までの間の実通院日数三五〇日間吉田外科病院に通院して、市バス往復代一八〇円を支出し、同年四月一日から同年六月一四日(症状固定日)までの間の実通院日数七三日間同病院に通院して、市バス往復代二〇〇円を支出し、以上合計金七万八一八〇円を支出した。

(四) 休業損害 金五六一万円

原告渡辺は本件事故当時、木材の買付け及び販売業を営み、一か月金三〇万円の収入を得てかたが、本件事故のため、昭和五一年一一月三〇日から昭和五三年六月一四日までの間(五六一日間)収入を挙げることができず金五六一万円の損害を被つた。

(五) 逸失利益 金二一九万九六〇七円

原告渡辺の年収三六〇万円、労働能力率失率一四パーセント、右喪失期間五年(ホフマン係数四・三六四三)

(六) 入、通院慰藉料 金二〇〇万円

(七) 後遺症による慰藉料 金一〇四万円

原告渡辺は昭和五四年一一月後遺障害等級として一四級一〇号の認定を受けたが、同原告の後遺症の程度としては一二級一二号の後遺症を残したものである。

(八) 弁護士費用 金一三〇万三六七八円

(原告会社の損害)

(一) 被害車の修理代金 金三七万七八九〇円

(二) 事故による被害車の減価額 金六万二〇〇〇円

(三) 査定代金 金四五〇〇円

(四) 弁護士費用 金五万円

4  よつて、原告渡辺は本件事故に基づく損害の賠償として被告両名に対し、金一五五二万七二四五円及び弁護士費用を除く内金一四二二万三五六七円に対する本件事故発生の日である昭和五一年一一月三〇日から、原告会社は本件事故に基づく損害の賠償として被告両名に対し、金四九万四三九〇円及び弁護士費用を除く内金四四万四三九〇円に対する本件事故発生の日である右同日から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)ないし(五)の事実は認めるが(六)の事実は知らない。

2  同2の事実中、被告組合が加害車を自己のために運行の用に供していたことは認めるが、被告河田が注意義務を怠つたこと、被告河田の進行してきた道路の方が原告渡辺の進行してきた道路より狭いとの点及び被告河田がいきなり県道上に進入してきたとの点は否認する。

3  同3の事実中、原告渡辺が同原告主張の期間吉田外科病院に入院したこと、同原告が同病院に長期間にわたり毎日のように通院したこと、同原告が個人で木材業をしていたこと、同原告が後遺障害等級一四級一〇号の認定を受けたことは認めるが、その余の原告らの損害の点は不知または争う。本件においては、原告渡辺の治療期間が長期のものとなつているが、それは同原告の心因的なものにより症状が加重されているのである。しかして、原告渡辺の吉田外科病院における治療費(文書料を含む)中昭和五一年一二月一日から昭和五二年一月一〇日までは金七三万九三八〇円、同月一一日から同年二月一〇日までが金五二万二三〇〇円、同月一一日から同年三月一〇日までが金四六万八一二〇円、同月一一日から同月三一日までが金三五万九三八〇円(以上は入院料分を含む)、同年四月一日から同年一一月三〇日までが金二三六万五三四〇円、同年一二月一日から昭和五三年二月二八日までが金八二万一四四〇円(以上の内昭和五二年四月一日から同月四日までは入院料分を含み、それ以降は通院分)となつているが、仮に入院治療が必要であつたとしても、入院の必要であつたのは昭和五二年二月末日までの九〇日間程度であり、通院治療が必要であつたのはその後約二か月であり、おそくともその頃症状が固定したとみるべきである。したがつて、同年三月以降の入院料三五日分金三三万二五〇〇円及び通院治療必要期間経過後の治療費約二五五万円については相当因果関係がない。

三  抗弁

1  過失相殺について

本件事故現場は東西に延びる幅員約八メートルの舗装道路と南北に延びる幅員約一〇メートルの未舗装道路との交通整理の行なわれていない交差点であるが、被告河田は右未舗装道路を南進して交差点を右折するにあたり、一旦停止して右舗装道路の右方の安全を確認し、次いで左方からくる車両の途切れたのを見届けて右折を始めたところ、出合頭に右方から進行してきた本件被害車に衝突した。被告河田が発進するに際し、あらためて右方の安全確認すべきであるのに、これを怠つたとしても、原告渡辺においても前方注視に欠けるところがなかつたならば、時速約一〇キロメートルの速度が出ていたにすぎない加害車をもつと早く発見し、事故を回避し得たものであつて、同原告にも過失があり、その過失割合は二割を下廻るものではない。

2  弁済について

被告らは左記のとおり支払つた。

(一) 原告渡辺に対し、金七〇万円及び後遺障害補償費(自賠責障害等級一四級一〇号)として金五六万円。

(二) 吉田外科病院に対し金二〇八万九一八〇円。

昭和五一年一二月一日から昭和五二年三月三一日までの治療費

(三) 中部労災病院に対し金八五一〇円

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実中、原告渡辺に過失があつたとの点は否認する。

2  同2の事実中、(一)の事実は認めるが、その余は知らない。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告ら主張の日時、場所において、被告河田運転、被告組合所有の加害車と原告渡辺運転、原告会社所有の被害車との間に、原告らが請求原因1の(五)で主張する事故態様の交通事故が発生したことについては、当事者間に争いがない。

二  成立に争いのない乙第四ないし第八号証及び原告本人渡辺章次(第一回、但し、後記措信しない部分を除く)、被告本人河田幸博の各本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  本件事故現場はアスフアルト舗装のされた東西に走る県道(幅員約八メートル、以下、東西の道路という)と南北に走る(幅員は右東西道路よりは若干広いが、明らかに広いという程の差異はない。なお、方角は正確には北々東から南々西に走る。以下、南北道路という)未舗装で工事中の町道との交わる信号機の設置されていない交差点であり、最高速度は毎時四〇キロメートルに制限せられており、付近は空地となつているため東進する側からも、また南進する側からもいずれも相手方に対する見とおしは良好な交差点である。

2  被告河田は加害車を運転して南北道路を南進し、本件交差点を右折して西方に進行するため南北道路の中心線よりやや右に寄つた辺りを進行し、前方道路を見たところ、東西道路を西進する車両があつたので、本件交差点の手前で停止し、右方(西方)を見てから次いで左方(東方)を見、東西道路を西進する車両の通過を待つて後、右折しようと同方向に対する安全を確認しないまま発進し、本件交差点に自車の前部を進入させた辺りで右方を見たところ、自己の直前数メートルのところに被害車が西方から進行してきているのを始めて発見し、危険を感じて急ブレーキをかけたが間に合わず、自車の右前部と被害車の左前部とが衝突するに至つた。なお、被告河田が停止した地点からは、東西道路の右方約五〇メートル先の地点まで見とおしが可能である。

3  一方、原告渡辺は被害車を運転して東西道路を時速約三五キロメートルで東進し、本件交差点を直進すべく走行中、衝突地点の手前約三〇メートルの地点で前方左側の南北道路を加害車が南進してきているのを見掛けたが、加害車は本件交差点前で停止していてくれるものと軽信し、前記速度のまま本件交差点に進入したため、直前に進行してきた加害車を認め、危険を感じてブレーキをかけたが間に合わず、前記のとおり加害車と衝突し、約一二メートル斜めに進行して停止し、右衝突のシヨツクで、原告渡辺は傷害を負うに至つた。

以上の事実を認めることができ、右認定に反し加害車は本件交差点の直前において停止せず、また、南北方向の道路は東西方向の道路に比して有効幅員は当時はかなり狭かつたとする原告本人渡辺章次(第一回)の供述はにわかに措信し難く、他に右認定に反する証拠はない。右認定の事実によれば被告河田には本件事故現場において左方にのみ気をとられ、右方に対する安全確約を怠つた過失があることが明らかである。

そして、被告組合が加害車を自己のために運行の用に供していたことについては当事者間に争いがなく、また本件事故は被告河田が被告組合の業務執行中に惹起せしめたものであることについては成立に争いのない甲第三号証及び弁論の全趣旨によつてこれを認めることができ、以上の事実によれば、被告らは各自原告渡辺の被つた人損及び原告会社の被つた物損を賠償すべき責任があるものといわなければならない。

三  原告渡辺の被つた損害について

1  傷害の部位、程度及び治療関係費(但し、被告らの主張する分を含む)について

前顕乙第七号証、成立に争いのない甲第九ないし第一三号証、乙第九ないし第一三号証の各一・二、証人日野唯信の証言によつて真正に成立したものと認める甲第二号証の一ないし五、証人日野唯信の証言、原告本人渡辺章次尋問(第一、二回)の結果を総合すると、原告渡辺は本件事故によつて頸椎捻挫、頭部挫傷、腰部・左膝・右足部挫傷の傷害を受け、昭和五一年一二月一日から昭和五二年四月四日まで一二五日間吉田外科病院に入院し(但し、右の期間同病院に入院したことは当事者間に争いがない)、退院後も引き続いて昭和五四年四月二四日まで同病院に通院していたこと(但し、同病院では昭和五三年六月一四日までは自動車保険を使つて治療を継続し、その間の治療日数は四二三日、以後は国民健康保険による治療に切替えられた)、そのほか、昭和五二年九月五日中部労災病院において診断を受け、さらには、吉田外科病院での治療経過が思わしくなかつたので、昭和五三年二月二一日から同年五月三〇日までの間四回にわたり名古屋第二赤十字病院において診療を受けたこと、そして、吉田外科病院における昭和五三年二月二八日までの治療費として金五二七万五九六〇円(その内訳は昭和五一年一二月一日から昭和五二年三月三一日までが金二〇八万九一八〇円、但し右金員は加害者側において支払ずみ、同年四月一日から同年一一月三〇日までが金二三六万五三四〇円、同年一二月一日から昭和五三年二月二八日までが金八二万一四四〇円である)、同病院における文書料が金一万二〇〇〇円、前記中部労災病院におけるものが金八五一〇円、前記名古屋第二赤十字病院におけるものが金二万二〇〇〇円以上合計金五三一万八四七〇円を要したことが認められる。

ところで、前顕乙第一三号証の一、成立に争いのない甲第四号証、証人日野唯信の証言によると、原告渡辺が本件事故によつて受けた傷害はいわゆるむち打ち症であつて、昭和五二年二月頃には一応退院して就労ができる状態にまで回復し、吉田外科病院においても、当時原告渡辺に対し、通院に切り替え、就労しながら治療を続けていくことをすすめていたこと、また、原告渡辺が前記中部労災病院において診断を受けた当時、同原告は、頭痛、不眠、健忘、微熱等を訴えていたが、右診断の結果は、頭頸部X線写真では特に異常所見を認めなかつたこと、そして、おそくとも昭和五三年三月末頃までには症状固定と認められるまでに至つたこと、しかしながら、原告渡辺は普通人以上に神経質な性格の持主であつて、長期間にわたつて吉田外科病院に入院または通院して治療を続けたことが認められ、右認定の事実によれば、前記金五三一万八四七〇円の治療関係費中本件事故と相当因果関係のあるものはその八割に当る金四二五万四七七六円と認めるのが相当である。

なお、原告渡辺は症状が固定したのは昭和五三年六月一四日であると主張し、その根拠とするところは、前記認定の自動車保険を使つての治療から国民健康保険による治療に切替えられたことにあるものの如くであるけれども、前記説示するところに照らして、右切替えの日を症状固定の日とする合理的な根拠は見出し難い。

2  入院雑費について

原告渡辺が昭和五一年一二月一日から昭和五二年四月四日まで一二五日間吉田外科病院に入院したことは前記のとおりであり、しかして、その内入院が必要であつたのは前記認定の事実に照らせば同年二月末日までの九〇日とするのが相当であり、右入院期間中一日金六〇〇円の割合による合計金五万四〇〇〇円の入院雑費を要したことは経験則上これを認めることができる。右金額を超える分については、本件事故と相当因果関係がないものと認める。

3  退院時及びその後の通院交通費について

原告渡辺が昭和五二年四月四日吉田外科病院を退院したことは当事者間に争いがなく、前顕甲第四号証、乙第一八、第一九号証、成立に争いのない甲第一五号証、原告本人渡辺章次尋問(第一、二回)の結果によると、原告渡辺は右退院後の同月五日から同年一一月三〇日までの間二三九回吉田外科病院に通院し、同年一二月一日から昭和五三年三月末日まで同病院に一一一日通院し、その後も同年六月一四日までの間殆んど毎日のように同病院に通院していたこと、そして退院の日はタクシーを利用して帰宅し、その費用として金五八〇円を支出し、右通院にはバスを利用したこと、右バス代は昭和五三年三月末日までは往復とも金一八〇円、その後は金二〇〇円であつたことが認められる。ところで、原告渡辺の症状が固定したのは右同月末頃と認むべきことは前記のとおりであり、右事実によると、本件事故と相当因果関係のある通院期間は右同月末ということになり、したがつて、本件事故と相当因果関係のある頭書記載の交通費は退院時のタクシー代をも含めて金六万三五八〇円となる。右金額を超える分については本件事故と相当因果関係がないものと認める。

4  休業損害について

原告渡辺が木材の買付け及び販売を業としていることは当事者間に争いがなく、原告本人渡辺章次尋問(第一回)の結果真正に成立したものと認める甲第八号証、第一四号証(第一四号証中官署作成部分については成立に争いがない)及び右原告本人尋問の結果を総合すると、原告渡辺は本件事故当時一か月約三〇万円を下らない収入をあげていたことが認められ、前記認定の事実によれば、原告渡辺は本件事故発生日である昭和五一年一一月三〇日以降入院を要したと認める昭和五二年二月末日までは全く稼働することができず、症状が固定したものと認めうる昭和五三年三月末日までの一三か月間に、原告渡辺の症状は徐々に回復に向い、少なくとも初めの五か月間は八〇パーセント、次の五か月間は五〇パーセント、最後の三か月間は三〇パーセントの労働能力を喪失したものと認めるのが相当であるから、その間の休業損害は左記計算のとおり金三一四万円となり、原告渡辺は同額の損害を被つたものというべきである。右金額を超える分については本件事故と相当因果関係がないものと認める。

30万円×3か月と2日分=92万円

30万円×5か月×80%=120万円

30万円×5か月×50%=75万円

30万円×3か月×30%=27万円

5  逸失利益について

原告渡辺の症状は昭和五三年三月末に固定したものと認むべきこと、しかして同原告が普通人以上に神経質な性格の持主であつて治療期間に相当の期間を要したことは前記認定のとおりであり、同原告の後遺症として自賠法施行令所定の後遺障害等級として一四級一〇号(局部に神経症状を残すもの)の認定を受けたことについては当事者間に争いがなく、以上の事実をあわせ考えると、原告渡辺は症状固定後は少なくとも一〇パーセントの労働能力を喪失し、右状態は少なくとも三年間は継続するものと考えられるから同原告の被つた逸失利益の現価は左記計算のとおり金九八万三一六〇円となる。

30万円×12×0.1×2.731=983,160円

原告渡辺は、同原告の後遺障害による労働能力喪失の程度は一四パーセントが相当である旨主張するけれども、前記認定を覆し、右主張の事実を認めるに足る証拠はない。

6  入通院及び後遺症による慰藉料について

本件事故の態様、原告渡辺の受けた傷害の部位、程度、治療の経過、後遺障害の内容・程度その他諸般の事情を考え合わせると、原告渡辺が本件事故によつて多大の精神的苦痛を被つたことが認められ、右苦痛を慰藉するものとしては金一九〇万円とするのが相当である。

7  過失相殺について

前記二の認定事実によれば、南北道路は本件事故当時未舗装で工事中の道路であつたとはいえ、有効幅員が特に狭くなつていたものではなく、右道路の幅員は東西道路の幅員と比較して特に広狭の差は殆んどなく、むしろ南北道路の方が若干広い程度であつて、しかも双方からの見とおしも良好であり、かつ、原告渡辺はかなり手前から加害車が進行してくるのを見ていたことをも考え合わせると、本件事故の発生につき原告渡辺にも過失があつたことは明らかであり、被害者側の損害を算定するについてはその二割を減ずるのが相当である。しかして、以上説示するところによると、原告渡辺の被つた損害額は合計一〇三九万五五一六円となるところ、右過失相殺をすると、その損害額は金八三一万六四一二円となる。

8  損害の填補について

原告渡辺がすでに損害の填補として金七〇万円を受領したほか、障害補償金として同原告において金五六万円を受領したことは当事者間に争いがなく、なお、前記治療費の内金二〇八万九一八〇円を加害者側において支払つたことは先に説示のとおりであり、成立に争いのない乙第一三号証の一・二及び弁論の全趣旨によると中部労災病院における前記治療費金八五一〇円をも被害者側において支払つたことが認められ、そうだとすると以上合計三三五万七六九〇円が損害の一部として填補されたことになるので、前記原告渡辺の損害額金八三一万六四一二円からこれを差引くと、その残額は金四九五万八七二二円となる。

9  弁護士費用について

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告河田が被告らに対し本件事故による損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は金三七万円とするのが相当である。

四  原告会社の損害について

1  被害車の修理代、減価額及び査定代について

成立に争いのない甲第五ないし第七号証(第六号証については原本の存在についても争いがない)及び原告本人渡辺章次尋問(第一回)の結果によると、被害車の修理に金三七万七八九〇円事故による被害車の減価額は金六万二〇〇〇円、被害車の減額の査定に金四五〇〇円を要したことが認められ、右合計金四四万四三九〇円が原告会社の被つた損害となる。

2  過失相殺及び弁護士費用について

ところで、原告側にも過失があつたことは前記説示のとおりであり、その過失割合二割を減ずると、原告会社の請求しうる前記損害額は金三五万五五一二円となるところ、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告会社が被告らに対し本件事故による損害として賠償を請求しうる弁護士費用の額は金三万円とするのが相当である。

五  以上の事実によると、被告らは各自原告渡辺に対し、金五三二万八七二二円及び弁護士費用を除く内金四九五万八七二二円に対する本件事故発生の日である昭和五一年一一月三〇日から、原告会社に対し、金三八万五五一二円及び内金三五万五五一二円に対する本件事故発生の日である右同日から各支払ずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告らの請求は右限度において理由があるのでこれを認容し、その余は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 白川芳澄)

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